斎藤一人の千手観音&ついてる2

ひとりさん

音にした想いは届く

 

アメリカに行ってね。フロイトって知ってるかな。
精神学者なんですけど、それが人間の心の中には信頼っていうのがあるんですよ。
で、心の中にもう一個の心があるんだ。
で、その心を利用するととんでもないことが出来るんだっていうことを、まあ発見したっていうか、まあ俺にとって知り合いじゃないですけどね。

で、心の中には本当はもう一個の心がある。
で、そこに願い事がこうかつすると絶対にかなっちゃうんだ。
ということを言ったのね。

インド、インドのお釈迦様が神仏って言うと、観音菩薩っていうでしょ。
観音菩薩ってなんですかっていうと、世の中の音を見てる、分かるかな。
で、世の中の音を見てるってことは、聞き届けてくれると願い事がかなうってことですね。

で、日本も昔から神道。
仏教っていうのはインドだったりとかね、外国からでしょ。
日本には日本で神道っていうのがあったんですよ。

で、神道は我々の夢とかアイデア、こういうものは全部海からです。
で、海から出てきたから、人間の心の中にも海があるの。
って思ったのね。

で、海の底には竜宮城があるの。
そこの竜宮城に、願い事を言うと乙姫様っていうのがいて、この乙姫様つーのが、音を聞いてる神様なんだ。

で、その乙姫様に声が届いて、竜宮城から泡が出るの、ポコンって。
で、その泡がポコンと割れると、割れて地上に出て空気になって、ふっと割れると願い事がかなうと。
そういうことになってるんだよね。

だから、その大衆的科学でいって、そのフロイトの話も本来は、うんがしらがさまがいった神様の話も、それから乙姫様の話も、ほぼ同じなんですよ。

それで、ついてるついてないっていってるけれども、思いは届くんですよ。
だからよく本当についてないことが起きるの。
本当なんだよ。

だから何言っても、あたしついてないんだよとか、何言ってもかまわないんだけども、言ってることっておきますよって。
それを思いとかどろどろと出てきてるんですけども、誰がそれを言ってたかの問題で、それはうーんうーんと出てくるの。
ね、分かるでしょ?

で、うちはひざこしとかいろんなもの食ってるんですよね。
で、うちくみきとかひとりもいないんです。
全部食べちゃうの。
で俺もくみきしてたことがある。
だけど、そういうのしらないで後から知ってると、とにかく一部かかわるの。
一部しか関わらないんですよ。

で、願って願うでしょ。
願ってずーっと一人で考えるの。
俺考えるの。

願ったら、うまいんですよ。

で、すごい楽しくてハッピーに、俺はついてるからって言うと、あじしたのがドロドロドロと上がってきて、食うんですよね。
ね、で、普通大人は信じられないんです。

で、信じられなくてもそうだからしょうがない。
現実に私が嘘だと誰も言わないから、自分でやるしかないんですよね。

でもなぜかできないものができる。
しゃべったことがよくわからない。
だから、人間ってそんなくらい働きがあるんですよねっていうことなんですね。

で、一応、ゆかり神社いってもね、鏡の。
神社に鏡があるの。

それでね、かるかものかわ、その鏡をかざすとね、自分の顔が映ってるの。
で、鏡の中がどこにいるんですかって言うと、大概は自分のところに。
だって、願い事しに行くんですから、今。

で、今からいろんなこと言うんですけど、怒られちゃう話もあるんで、宗教って複通りあるんですよ。
気をつけなきゃいけないのはね、うち神様と外神様っているの。

うち神様って言うのは、ひらてのきわみなの。
自分が神様っていうことに気がつきなさいよって、自分が神様だって言うことは絶対に宗教にならないの。

だって、皆が入らない。
だから宗教には絶対にならない、だから一円をお金がもらえない。

ところが、あなたたちは神じゃないんだって、神はこっちにいるからって言うのが次の問題で、願い事がかなうのは問題ないんだけど、ね、願い事があって解決する方法がすごい簡単だって覚えちゃうの。
よく別でわかんないんだけど、向こうは向こうで立派な意見があるからそこはいけないんじゃないの。
向こうは向こうの商売をしなくちゃいけないんだけども、うちが言ってるのはそういうことじゃない。

自分が神様であるということに気がつこうよって話をしてるんだよね。

で、ちょっとそっと家のこといわれたって分からないんじゃない。
たとえ自分が神であるって覚えないでしょ。
で、そりゃいいよ思わなくたっていいよ。
そんで、ただ、見てるっていることは今みたいな不思議な現象が起きる場っていることは分かったよね。

まあついてるって言った方がいいや。
で、ついてるついてるってとりあえずいろんなことが起きるんだっというくらいまで覚えておいてね。

みんなたくさんの顔と手を持っている

それで、例えば自分が神であるとしたらどうだろう。
神に気がつくために生まれてきたんだとしたらどうだろうって言ったときに、十一面観世音ですよね。
ね、あなたたちには本当は神様と同じ力があるんだよって、観音様にいって。
で、十一面観世音ってどんなんですか、顔が十一個あるの。

ね、だからかつらを綺麗にかざろうとしたら、たくさん顔があるんだよね。
だけど、僕がやってる商人の顔とか、僕にもいくつも顔があるんですよ。

怒った顔とか泣いた顔とかの話じゃないんだよ。
あの、十一面観世音の顔見てると分かるけど、怒った顔とかいわれてないからね。
あの泣いてる顔とか、顔見てると分かるんですけどこんな穏やかないい顔してるんですよね。

だから、我々っていろんな顔が出来るんですよ。
それを、ぼけっとした顔だけで世の中遠そうとしてる人が、本当は神的な生き方じゃないんですよ。

だって何千もの顔を持ってるんですよ。
等しくてみんなおんなじ顔してもみんな顔なんても、だから千手観音って手があるんだよ。
そしたら、あの手この手出せばいいの。

それを何の手も出さないとするじゃない。
そうすると、自分の手、自分の心が、ここはなんにもできないできないって縛ってると、苦しいんだよ。
だから苦しそうな顔してるの。

みんなこんなに手があるんだよ。
人間なんて2本あるのに、上手しか出さない人がいますけど、あの手出したらどうだろうとか、思うだけどね。
だってここにいたら、言ってくれたらと悩み方するじゃない。

で、そのいろんなやり方をしてると、人それぞれによってね。
で、そういうことのほうが神的なの。

で、かんこんさまって今年から生まれて、わっかがついてるの。
そこが動けることでしょ、そういうことじゃないんですよね。

だから心が心が溜まってるのね。
だけど、もし仕事だけの話するんだったら、この中で、ちょうどひるやったって自分のところをまず比較すると、のこりいくれとれいんだよね。

で、動ける人間が動かないでじっとしてたら苦しんだよね。
だから、苦しい顔してる人って言うのは、学び方すればいいのに、もう一個しか出来ない。

ね、顔が一個しか持ってない。
でも、そのとき一つそのときから、どんどん気持ちよくなるの。

で、何が苦しいのかって言うと、そうやつって周りを怒るんだよ。
怒ったり怒鳴ったりすると、周りが迷惑するの。
で、あんたが何度も何度も噛まれてこんなもんじゃないんだよ。

俺しか出来ないって世の中にないんだよ。
でも俺も出来ればこれも出来る。
で、いろんなものの見方も出来るし、なんだって手がだせる。

だから、怒られたってその中でほうけた人だっているんだよね。
その人のまねをすればいいだけなの。

で、あの手もあればこの手もあるのに何にもしないで苦しい苦しいってそりゃ苦しいよ。

 

斎藤一人の「私は、愛と光と忍耐です」

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。