斎藤一人100回シリーズ-3徳の話!音声文字起こし
はい、今からお話をします。
この話はですね、非常に簡単です。
100回聞くと分かります。
それと100回実践してみると分かります。
たった100回聞いて分かって、たった100回実践すればできるようになるという、簡単な話をします。
人は困った時に多くを学ぶ
まず、人は困らないんだ。
例えば競馬をする人がいる、博打をしない人がここを見てると「あんたあんな競馬なんかやっていたら困るよ」とかって言うんだけど、意外と困らないでしょう、なんか競馬かなんか楽しみながら生きているおじいさんとかは結構多いんです。
それで、中に困る人がいます。
中に困る人が何かって見てると、その困っているときが学ぶときなんです。
「子どもに勉強しなさい」とか言うけれど、意外としない子が多いんだけど、大概は困らないんです。
意外となんつーの、あんまりこう、とびの仕事やったり大工さんになったり、その必要な勉強だけですんじゃってて、あんまり方程式や英語とか使わないんです。
本当に勉強しなくちゃいけない困ったときが出てきたときが、その人が勉強するときなんです。
だから、お金にだらしない人がいるんだけど、だらしなくしているときは別に困ってないんです。
それで、お金に困るときが出てくるんです。
お金に困ったとき、人は落ちぶれたとき、金の尊さを知るんです。
お金って尊いものだよなっと。
でも、それの前って意外と、俺はお金より友情を大切にするんだとか言うけど、友情は大切なものだけど、いちいちお金と比較するべきものじゃなくて、じゃあお金があったら友情って出来ないんですかっていうと、そんなことはないんだよね。
そうすると、友情も大切だけど、お金って尊いね。
尊いお金を得る方法は、やっぱし尊い働きによって得るもんだとかって、人間ってこう学ぶものなんです。
じゃあ、やっぱり困るじゃないかって言うけど、そうじゃないんです。
人が学ぶことって困ることなんですかってことなの。
人がいい事を聞いていいことを学ぶ。
学ぶことって別に困ることでもないんです。
だから、人は困ってるんじゃなくて学んでるんです。
だから、一本の木で例えると、日照りが続く、そうすると根の側にある水分は全部吸っちゃたんです。
そうすると、全部吸っちゃったその水分で、もう足んなくなると、一生懸命根を張るんです。
それで、1センチでも1ミリでも根を伸ばすとそこの先から水分が吸えるんです。
そこをなくなっちゃうとまた、またっていう風にして根を伸ばす。
根をしっかり伸びているから、嵐が来ても何しても倒れないんです。
ところが、けえきがいいとか、雨がベタベタベトベト吸ってると、そこの回りからだけでも、こう水分吸っちゃてると、うおうは立派な木になって、枝もさかえて葉も茂るけど、根っこがちょっとしかついてないから、嵐が着たりなんかするとバタバタバタバタ倒れちゃう。
だから、この前のバブルの時に出来た会社が、何でこんなに簡単に倒れちゃうのっていうと、苦しさの中に根を張ると言うことをしなかったからなんだよね。
だから、苦しんでるじゃなくて、その人は学んでるんだ。
それから、いろんなことがあって、こういうのがつらいああいうのがつらいっているけれど、本当にさしてつらくないんです。
家庭内暴力とかってあるんです。
よく、いやぁうちの子がもう喘息だったからとか、ああだからとかこうだからとかって言うけど、暴力振るわれても皆が思ってるほどつらくないんです。
本当につらかったら出て行っちゃうだけなんです。
だから、この子がアトピーだったからとか、この子が喘息だったからとか、ねぇこの子は小さいときお父さんに死なれてかわいそうだからとかって、その程度の自分を慰めて、殴られていられるような人ってのは、そんなに殴られることがたいして嫌じゃないんです。
人っていろんな人がいますから、自分と一緒にしちゃだめですよ。
本当は、その、本当に嫌になったとき、出てっちゃうんです。
置いていかれた時に子供たちも、親のことひっぱたいてたけど、親に生んでもらった、親にご飯食わして、そういう人を殴っていたら、親がいなくなったときに自分ひとりじゃ、殴る相手もいないしご飯食わしてくれる相手もいないんです。
じゃあ、腹たつからって、隣のオヤジとか隣の奥さん殴ったら逮捕されるんです。
そんなことが分かり合える、本当に人は苦しくなったときに分かり合えるんです。
だから、まだそんなに苦しんでないから勉強の時が着てないんです。
だから、人が勉強するっていうことは悪いことじゃないんです。
お金の尊さが分からないで死んじゃった人がいるっていうけれど、人は10万回生まれ変わるんです。
2,3回そんなことをしたからっていいんです。
その人は、「ああ今学んでる人だなぁ」って思えばいいんです。
いい種をまいて実をつける
心ってあるじゃない。
心の修行なんだよね。
心の修行ってなんですか、お客さんこないんですよ、お客さん来なかったら今まで来てた人に、お手紙だす。
ここんところ、あの、この前買ってっていただいた、あのー、いかがですか。
調子いかがですかーとか、相手に聞く。
それを、心を配るという。
だから、心は配るものなの。
あっちこっちに心を配ってあげる。
それから、あっ今日は暇だから、暇だからガラスでも磨こう。
で、いい種まくの、ガラス磨くとか、電話かけるとか、お客さんにご機嫌伺いの「いかがですかー」とかっていう、ハガキ出す。
ダイレクトメール出す。
今日は暇だからそういうことが出来るってことは、いいことをしてるんだよね。
いいことをしてるってことは、いい種を世間にまいている。
心を配るってのは、いい種をまく。
でも悪いことすれば悪いのをまくよ。
だけど、いい種をこう一生懸命こうやってまいてたらそれが実ってきてみんな返ってくる。
一番いけないことが、それは、「お客さん来ないわね」って、その暇な時間心を眠る人がいるの。
いい種でも、そのいい種を持って手でこうやってもむと種はみんな崩れるの。
崩れたらもう芽がでないの。
だから、心は揉んじゃだめだよ。
気を揉むより、心を配るようにすればいいんだよ。
こんなことも一つの勉強なの。
そうやって勉強して勉強していくのね。
だからよく、転ばぬ先の杖だよっていうと、これを学びなさいあれ学びなさいっていうけど、子供たちは全然学ぶ気がしないの。
なぜかっていうと、困ってないから。
自然界って、困る前に学ばせようというのが、あなたの親のね、親とか、周りの人のことなの。
でも、本当は天の生み親って、天にはものすごく偉い神様がいて、嘘か本当か知らないよ。
あたしも知らないし、みんなも永久に分からないよ。
ただ、本当は困ってから学んでも十分なの。
だって、何人人が困るか分からないの。
人って、個性がもう全然違うの。
だから、困ってると言う捉え方をしちゃいけないんだ。
困ってるんじゃなくて、あっ学ぶ時期が来て今学んでるんだ。
それで、心揉んで揉んで揉めば揉むほど悪いことがおきる。
そのことも今学んでいる。
やがて落ち着いたとき、やっぱし、いいことしていい種まくしかないんだ。
いい種をまく、いい心になっていい種まく。
いい種まけば、いい結果が出て、いい種が一粒の米から万の米が出来るようにいい事がいっぱい起きるんだ、っていうことを皆が学ぶんだ。
だから、そのことを気を揉んじゃいけないよ。
自分の機嫌をとることが大切
それと、もう一つ人間関係でもう一つだけ、これは覚えておいた方がいいんだけど、これも100回聞けば分かる。
100回だけ実践すれば出来るようになる。
なんですかっていうと、今まで皆が思ってることと正反対のことを言うからね。
いいかい、体の具合の悪い人、人生うまくいかない人、もしかしたら人の機嫌を取ってませんか。
相手は相手の都合で機嫌が悪かったりしてるんだよね。
今現在も、台風6号とかってものすごいのが来てるけど、その台風は所詮一過性のものなの。
台風で地球が飛ばされたとか、太陽が飛ばされたとか、絶対にないの。
たかだか一日か二日なんかの都合でああなってんの。
それよりも、そんなことに心を惑わされないの。
だから、今は、やれ不況なんだとかなんだ、それでも自分の機嫌を取るの。
自分がいつもニコニコ明るくしてるの。
そういう人が人を救うの。
いいですか、機嫌が悪い。
で、私は機嫌がいい。
悪い方に私を合わしちゃいけないんです。
だって、悪ってのは悪なんです。
いいですか、私が機嫌が良くて、けど隣が機嫌が悪くて、永遠と機嫌がよくしてると、必ず機嫌の悪い方が機嫌のいい方に合わせるんです。
機嫌が悪いなんて一過性なんです。
ところが、その機嫌が悪いほうに合わせると、台風に合わせたら飛ばされますよ。
自分が苦しむの。
それより、相手の都合なの。
病気の人がいた、病気の奥さんがいた、病気だから心配してるよ。
お前がいなくなったら困るよ。
だからといって、病気と同じように自分も暗くなり苦しんではいけないんです。
お前病気でも心配ないよって、俺は明るく頑張るからなって、何があっても自分の明るささせ自分の機嫌を取るの。
お前が心配だというか、お前が亡くなられたら俺の食事どうなっちゃうのとか、気を揉んでいる人がいるの。
それより、気を配ってあげればええの。
寝てな、俺のものは俺が作るから。
それで、機嫌を損ねないの。
自分の機嫌を取るの。
自分の機嫌を取れば、いつもその人って機嫌のいい人なの。
機嫌のいい人の側にいる人は機嫌がよくなっちゃうの。
これも根がしっかり、機嫌がいいという根をしっかりはってないと、ちょっと機嫌が悪い人がいると相手に合わして、「どうしたの、ああしたの」って機嫌を取ってるの。
その内、機嫌取ってる自分まで機嫌が悪くなってくる。
それを繰り返してるの。
だから、お互いに自分の機嫌を取るの。
嫌に気分になりそうになったときに、自分の機嫌を取るの。
それで、うまくいってない人、人間関係がどうもうまくいってない人ってのは、自分が機嫌がとれない人なの。
中には人の機嫌も取れない人もいるんだよ。
だけど、自分の機嫌だけとりな。
だから、お天気やさんで、気分のいいとき、気分の悪いとき、もう如実に顔に表す人がいる。
それが、迷惑かけてるの。
そういう人がいても、絶対、嫌な人ねぇとか、敷かれちゃうわぁああいう人に会っちゃうと気分悪くなっちゃう。
機嫌を取りな。
そう向こうは向こうの勝手で、ご都合で、気分が悪いの。
こっちはこっちの都合で気分がいいの。
どんなことがあっても、自分をハッピーだねとか、ついてるねえとか、言ってるの。
それを、あの人こう困ってるのよ、あの人こうなのよ、そうじゃない、あの人は学んでるんだ。
もう少し学べばいいんだ。
悩んでるから解決してあげたいの、違う、悩み方が少ないから解決しないんだ。
もっと悩んで、もっと我慢できない所までいったら人は必ず学びだすんだ。
学びが半端だから苦しんでるんだ。
なぜ苦しんでるかって言うと、傍から見てるほど苦しくないからなんだ。
あたしだったら我慢できるもん。
あなたじゃないんだ。
だから、その人にとってまだ学びがこれからの人っているの。
それを、上機嫌で見守ってあげる、ハッピーな気持ちで見守ってあげるの。
この話が、愛情なの。
分かるかい。
お金って、お金をお持ちになった。
お金を持って洋服買ったら洋服代、野菜買ったら野菜代。
でも、お金にそんなこと書いてありますか。
お金にこれはシャネルのバックのお金ですよとか、書いてないよね。
お金は一つのお金なんだよ。
だからお金持ちになっちゃうと、いろんなものを買えるよ。
買った後から、何代ってつくんだよ。
分かるかい。
ということは、お金持ちになっていれば、あっちにもこっちにもお金が払えるんだよ。
それと同じように、心に愛情と言うものがいっぱいあれば、この人にも愛情が出せる、この人にも愛情が出せる。
ね、いろんな人に愛があるの。
いつも人様に笑顔でいられるんだよ。
それは、上機嫌が溜まってるんだよ。
自分の機嫌をよくしなさいって言うのは、自分の中に上機嫌がいつも溜まってるから、あの人にもこの人にもこの人にもこの人にも、上機嫌でいられるんだよ。
それが、この人にだけはいい顔、こっちにはブスっとっていうのはないんだよ。
ないから出せないんだよ。
なぜないんですかっていうと、人の機嫌ばっかし取ってて自分の機嫌を取らないからなの。
自分の、しっかり自分の機嫌を取るの。
そしたら、自分の機嫌がよくてココに溜まってるんだよ。
それが溢れでるの。
それが笑顔なんだよ。
ね、だから、ついているって言葉は何ですかっていうと、自分の機嫌を取る言葉なんだよ。
自分の機嫌が落ち込みそうになったとき、ついてるついてるって言っただけで機嫌がよくなってくるんだよ。
ハッピーだねぇっていう言葉はなんですか、自分の機嫌を取ってるんだよ。
それで、周りの波、風、嵐、日照り、そんなものに吹き飛ばされない不滅の魂、不滅の光なんだよ。
それを心の中に持つんだよ。
それの燃料がいるんだよ。
ろうそくだろうが、油だろうが持ち続けるための燃料がいるの。
心の燃料が、ついてるついてるっていう言葉なの。
長くなっちゃったけど、この話は100回聞けば分かります。
それで、100回実行したときに分かる、本当に簡単な話です。
どうもありがとう。
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