斎藤一人の上級の話
今からお話をします。
この話はですね、非常に簡単です。
百回聞くとわかります。
それと百回実践してみるとわかります。
たった百回聞いてわかって、たった百回実践すればできるようになるという簡単なお話をします。
困ったときに人は学ぶ
まず人は、困らないんだ。
例えば、競馬をする人がいる。
博打をしない人が見ていると、あんた競馬なんかやってたら困るよて言うんだけど、意外と困らないで一生競馬かなんか楽しみながら、生きているようなおじいさんとか、結構多いんです。
それで、中に困る人がいます。
中に困る人っていうのは何かっていうと、見ていると、その困っているときが学ぶときなんです。
子供に勉強しなさいとかって言うけれど、意外としない子が多いんだけど、大概は困らないんです。
意外とあんまり、鳶の仕事やったり大工さんになったり、その必要な勉強だけで済んじゃっててあんまり方程式とか英語とか使わないんです。
本当に勉強しなくちゃいけない、困ったときが出てきたときが、その人が勉強するときなんです。
だから、お金にだらしない人とかいるんだけど、だらしなくしているときは別に困っていないんです。
それで、お金に困るときが出てくるんです。
お金に困ったとき、人は落ちぶれたとき、金の尊さを知るんです。
お金って尊いもんだよなって。
でも、それの前って意外と、俺はお金より友情を大切にするんだとかって言うけど、友情は大切なものだけど、いちいちお金と比較するべきものじゃなくて、じゃあ、お金があったら友情ってできないんですかっていうとそんなことはないんだよね。
そうすると、友情も大切だけど、お金って尊いね、尊いお金を得る方法がやっぱし尊い働きによって得るものだ、とかって人間ってこう学ぶものなんです。
じゃあ、やっぱり困るじゃないかっていうけど、そうじゃないんです。
人が学ぶことって困ることなんですかってことなの。
人がいいことを聞いていいことを学ぶ、学ぶことって別に困ることでもないんです。
だから、人は困っているんじゃなくて学んでいるんです。
だから、一本の木で例えると、日照りが続く、そうすると、根のそばにある水分は全部すっちゃたんです。
そうすると全部すっちゃたその水分で、もう足りなくなると、一生懸命一生懸命根を張るんです。
それで1センチでも1ミリでも根を伸ばすとそこの先から水分が吸えるんです。
そこもなくなっちゃうと、また、またっていうふうにして根を伸ばす。
根をしっかり伸ばしているから嵐が来ても何しても倒れないんです。
ところが、景気がいいとか雨がべたべたべたべた降っているとか、そこの周りからだけでも水分吸っちゃっていると、上は立派な木になって枝も栄えて葉も茂るけど、根っこはちょっとしかついていないから、嵐が来たりなんかすると、パタパタパタパタ倒れちゃう。
だからこの前のバブルのときにできた会社がなんでこんな簡単に倒れちゃうのっていうと、苦しさの中に根を張るということをしなかったからなんだよね。
だから、苦しんでるじゃなくて、その人は学んでいるんだ。
それから、よくいろんなことがあって、こういうのがつらい、ああいうのがつらいって言うけれど、本当にさしてつらくないんです。
家庭内暴力とかってあるんです。
よく、うちの子は喘息だったからとかああだとかこうだとかって言うけど、暴力振るわれてもみんなが思っているほどつらくないんです。
本当につらかったら出て行っちゃうだけなんです。
だから、この子がアトピーだったからとか、この子は喘息だったからとか、この子は小さいときにお父さんに死なれてかわいそうだからとかって、その程度、自分を慰めて殴られていられるような人って、そんなに殴られることが大して嫌じゃないんです。
人っていろんな人がいますから、自分と一緒にしちゃだめですよ。
本当は、本当に嫌になったとき、出て行っちゃうんです。
置いて行かれたとき子供たちも親のことひっぱたいてたけど、親に産んでもらって親にご飯食わしてそういう人を殴っていたら、親がいなくなったとき、自分ひとりじゃ殴る相手もいないし、ごはん食わしてくれる相手もいないんです。
じゃあ腹立つからといって隣のおやじとか、隣の奥さん殴ったら、逮捕されるんです。
そんなことが分かり合える、本当に苦しくなった時、人は分かり合えるんです。
だから、まだそんなに苦しんでいないから、勉強のときが来ていないんです。
だから人が勉強するっていうことは悪いことじゃないんです。
お金の尊さがわからないで死んじゃった人がいる。
人は十万回生まれ変わるんです。
2、3回そんなことしたからっていいんです。
その人は、ああ、今学んでいる人だなって思えばいいんです。
心を配り、いい種をまく
心ってあるじゃない。
心の修行なんだよね。
心の修行って何ですかって、「お客さん来ないんですよ」、お客さん来なかったら今まで来なかった人にお手紙出す。
「この前買っていっていただいたの、いかがですか?」、「調子いかがですか」とか相手に聞く。
それを、心を配るという。
だから心は配るものなの。
あっちこっちに心を配ってあげる。
それから、今日は暇だから、暇だからガラスでも磨こう。
いい種をまくの。
ガラス磨くとか電話かけるとか、お客さんにご機嫌伺いの。
いかがですか?とかっていうハガキ出す。
ダイレクトメール出す。
今日は暇だからそういうことができるってことはいいことをしているんだよね。
いいことをしているってことはいい種を世間にまいている。
心を配るっていうのは、いい種まく。
悪いことすれば悪いのまくよ。
だけど、いい種をこう一生懸命まいていたら、それが実ってきてみんな返ってくる。
一番いけないことが、それは、お客さん来ないわねって、暇な時間、心をもむ人がいるの。
いい種でも、その種をもって手でこうやってもむと、種はみな崩れるの。
崩れたら、もう芽は出ないの。
だから、心はもんじゃだめだよ。
気をもむより、心を配るようにすればいいんだって。
こんなことも一つの勉強なの。
そうやって勉強して勉強していくのね。
だからよく、転ばぬ先の杖だよって言って、これ学びなさいあれ学びなさいって言うけど、子供たちは全然学ぶ気がしないの。
なぜかっていうと困ってないから。
自然界って、困る前に学ばせようというのがあなたの、親のね、親とか、周りの人のことなの。
でも本当は、”天のみおや”って言って天にはものすごいえらい神様がいるの。
嘘か本当か知らないよ。
わたしも知らないし、みんなも永久にわからないと思う。
ただ、本当は、困ってから、学んでも十分なの。
だって何に人が困るかわからないの。
人って個性が全然違うの。
だから困っているという捉え方はしちゃいけないんだ。
困っているんじゃなくて、あ、学ぶ時期が来て今学んでいるんだ。
それで、心をもんでもんでもめばもむほど、悪いことが起きるの。
で、そのことも今学んでいるの。
やがて落ち着いたとき、やっぱしいいことしていい種まくしかないんだ、いい種をまく、いい心になっていい種まく。
いい種まけば、いい結果が出て、いい種が一粒の米から、万の米ができるようにいいことがいっぱい起きるんだ、ていうことをみんなが学ぶんだって。
だから、そのことを、気をもんじゃいけないよ。
自分の機嫌をとり、人に愛を与える
それともうひとつ、人間関係でもう一つだけ、これは覚えておいた方がいいんだけど。
これも百回聞けばわかる。
で、百回だけ実践すればできるようになる。
何ですかっていうと、今までみんなが思っていることと正反対のこと言うからね。いいかい?
体の具合の悪い人、人生うまくいかない人、もしかしたら、人の機嫌を取っていませんか?
相手は相手の都合で機嫌が悪かったりしているんだよね。
今現在も台風6号とかってものすごいのが来ているけど、その台風は、所詮一過性のものなの。
台風で地球が飛ばされたとか太陽が飛ばされたとかって絶対ないの。
たかだか一日か二日何かの都合でああなってんの。
それよりも、そんなことに心を惑わされないの。
だから今はやれ不況なんだとか、なんだ、それでも自分の機嫌を取るの。
自分がいつもにこにこ明るくしているの。
そういう人が人を救うの。いいですか。
機嫌が悪い、で、私が機嫌がいい。
悪い方に私を合わしちゃいけないんです。
だって悪っていうのは悪なんです。いいですか?
私が機嫌が良くていくら隣が機嫌が悪くても、永遠と機嫌が良くしていると、必ず機嫌の悪い方が機嫌のいい方に合わせるんです、
機嫌が悪いなんて言うのは一過性なんです。
ところがその機嫌の悪い方に合わせると、台風にあわしたら飛ばされますよ。
自分が苦しむの。
それより、相手の都合なの。
病気の人がいた、病気の奥さんがいた。
病気だから心配しているよって、おまえがいなくなったら困るよ。
だからといって、病人と同じように自分も暗くなり苦しんでは、いけないんです。
お前、病気でも心配はないよ。
俺は明るく頑張るからなって、何があっても自分の明るささえ、自分の機嫌を取るの。
お前が心配だよって、お前に寝込まれたら俺の食事どうなっちゃうのとか、気をもんでいる人がいるの。
それより気を配ってあげればいいの。
寝てな、俺のものは俺が作るから、それで機嫌を損ねないの。
自分の機嫌を取るの。
自分の機嫌を取ればいつもその人って機嫌のいい人なの。
機嫌のいい人のそばにいる人って機嫌が良くなっちゃうの。
これの根がしっかり、機嫌がいいという根をしっかり張っていないと、ちょっと機嫌が悪い人がいると、相手にあわして、あの人どうしたの、機嫌とっているの。
そのうち機嫌とっている自分まで機嫌が悪くなってくる。
それを繰り返しているの。
だから、お互いに自分の機嫌をとるの。
嫌な気分になりそうになったとき、自分の機嫌をとるの。
それでうまくいっていない人、人間関係がうまくいっていない人っていうのは自分の機嫌がとれない人なの。
中には人の機嫌もとれない人もいるんだよ。
だけど、自分の機嫌だけとりな。
だから、お天気屋さんで気分のいい時、気分の悪い時、如実に顔にあわらす人がいる。
それが迷惑かけているの。
そういう人がいても、絶対、嫌な人ね、とか、疲れちゃうわ、ああいう人がいると気分悪くなっちゃう、機嫌をとりな。
向こうは向こうの勝手で、ご都合で気分が悪いの。
こっちはこっちの都合で気分がいいの。
どんなことがあっても、自分を、ハッピーだね、ついてるねとか言ってるの。
それを、あの人こう困っているのよ、あの人こうなのよ。
そうじゃない、あの人は学んでいるんだ、もう少し学べばいいんだ。
悩んでいるから解決してあげたい、違う、悩み方が少ないから解決しないんだ。
もっと悩んで、もっと我慢できないところまでいったら、人は必ず学びだすんだ。
学びが半端だから苦しんでいるんだ。
で、なぜ苦しんでいるかというと、はたから見ているほど苦しんでいないからなんだ。
「あたしだったら我慢できない」、あなたじゃないんだ。
その人にとって、まだ学びが、これからの人っているの。
それを上機嫌で見守ってあげるの。
ハッピーの気持ちで見守ってあげるの。
この話が、愛情なの。わかるかい?
お金って、お金持ちになった。
お金持ちになって、洋服買ったら洋服代、八百屋さん行ったら野菜代、でも、お金にそんなこと書いてありますかって。
お金にこれはシャネルのバッグのお金ですよとか、書いてないよね。
お金は一つのお金なんだよ。
だからお金持ちになっちゃうと、いろんなものを買えるよ。
買った後から、何代ってつくんだよ。わかるかい?
ていうことは、お金持ちになっていれば、あっちにもこっちにもお金が払えるんだよ。
それと同じように、心に愛情というものがいっぱいあれば、この人にも愛情が出せる、この人にも愛情が出せる。
いろんな人に愛がある。
いつも人様に笑顔でいられるんだよ、それは上機嫌がたまっているんだよ。
自分の機嫌を良くしなさいっていうのが、自分の中に上機嫌がいつもたまっているから、あの人にもこの人にもこの人にもこの人にも、上機嫌でいられるんだよ。
それが、この人にだけはいい顔、こっちにはぶすっとというのは、ないんだよ。
ないからだせないんだよ。
なぜないんですかっていうと、人の機嫌ばっかしとってて自分の機嫌をとらないからなの。
自分の、しっかり自分の機嫌をとるの。
そしたら、自分の機嫌が良くて、ここにたまっているんだよ。
それが、溢れ出るの。
それが笑顔なんだよ。
だから、ついているっていう言葉は何ですかっていうと、自分の機嫌をとる言葉なんだよ。
自分の機嫌が落ち込みそうになった時、「ついてるついてる」って言っただけで機嫌が良くなってくるんだよ。
ハッピーだねっていう言葉は何ですか、って自分の機嫌をとっているんだよ。
それで、周りの、波、風、嵐、日照り、そんなものに吹き飛ばされない、不滅の魂、不滅の光なんだよ。
それを心の中に持つんだよ。
それの燃料がいるんだよ。
ローソクだろうが油だろうが、持ち続けるための燃料がいるの。
心の燃料が、「ついてるついてる」っていう言葉なの。
長くなっちゃったけど、この話は百回聞けばわかります。
それで、百回実行したときにわかる、本当に簡単な話です。
どうもありがとう。
以上です。よろしくお願いいたします。
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