講師が講演前に聞くテープ

その他

20分のストーリー

 

はい、こんにちはー、斉藤ひとりです。
よろしくお願いいたします。

今から斉藤塾の寺子屋講演会についてのお話を少しさせていただきます。
この寺子屋講演会には少し変わったルールがあります。

まずそれは何ですかっていうと、一人20分です。
これは、どんな偉い人が来ても一応20分経つとその場でストップです。
こういうルールがあります。
だから気楽に話していただいて、長すぎる人はブーっていう合図がきますから、そしたら終わりになります。

それともう一つ特徴があります。
その特徴は何ですかっというと、通常は講演会というのはいろんな知識を話していただくんですけど、うちの寺子屋に関してはそうじゃないんです。

例えば、学校の校長先生が着ていただくと本当に立派な教育論っていうのがあって、その話をしてくれるんだけどうちの寺子屋ではそうじゃないんです。

実は自分はどういうところで生まれたんだ。
どういう環境でどういう親の元で生まれて勉強して校長先生になろうとか、教育者になろうとしたんだ。
なってみたらこんなに嬉しい事があったけど、思いもよらないでこんなことがあったんだ、自分の経験したことを一人の人間として生きてきたストーリーを話して欲しいです。

例えば警察の署長が来て、お願いしますって言ったとき、はい分かりましたよって防犯についての話じゃないんです。
本当に自分はこういうきっかけでおまわりさんになろうとしたんだ。
なってみたらあにはからえない、こんなとこがあったんだ、あんなこともあったんだってそういう自分の生きてきたストーリー、それを神様が作ってくれたストーリーっていうんだけれど、それを話してもらいたいです。

だからこの前も本当に一般の人が話してくれて、はぁーこんなご苦労なさったんだ、もう涙流して皆が聞く話があるんです。

もう中には自分以外は、みんな精神病院入っちゃってるんだ。
自分はそのことをひた隠しにしてたんだけど、そのことをしっかり話してくれたとき、もう皆が大感激して、本当にその人に惜しみなく拍手して、その人の心が軽くなって、本当に楽しい話もあるんです。

で、こういう話を一人一人が言ったとき、本当にそういうところに歩いている人たちが、はーこの人にもストーリーがあるんだ、この人にもストーリーがあるんだ、そういうことが分かります。

そして、私の話の後に何人かの人が話してくれます、本当に普通の人です。
でも、本当に真実をずーっと語ってくれてます。

その真実が私の心を打ったし、きっと聞いてくれているみんなの心を打つと思います。
後はゆっくり聞いてください、よろしくお願いします。

忙しくて楽しい毎日の話

ご縁に出会えてとつけました、ちょっと皆さん眠たい方は目を覚ましていただくんで、わたくしと一緒に今日のタイトルを一緒に復唱していただきたいんです。

あーこのご縁、よきご縁に出会えて。
よろしいでしょうか?

いいですか? せーの!

『あーこのよきご縁に出会えて』

ありがとうございます。

本当にね、あのこのタイトルをつけさせていただきましたのは、本当に、このよきご縁に出会えて、そしてこのよきご縁に出会えて、今日(こんにち)の今この私がここにいるということなんですね。
本当のこの、今日はね、もう泣きたくなっちゃうんですけども、この涙はね悲しい涙じゃないんですよ。

嬉しい、この出会いがあったっていうことに感謝の涙なんです。

で、この「あー」というのは、「あー」ってこう下がらないんですよ。
お腹のそこから、「あー」ってこう上に上がる「あー」なんですよ、皆さん。
もう本当に、「あー」って上に上がって、毎日毎日感謝。

もう本当にね感謝でね、もう忙しいですよ毎日が。
ですけども、その忙しさが振り返ってみると本当にそれが喜びとかね、本当にねありがたいものに変わっているから本当にこれ不思議なんですよね。

うちは自然食品のお店始めまして12年なんですよね。
その前が、用品屋さんをやってたんですよね。
学校の体操着を着るなんて子。
そして、前がかばん屋さんをやってたみたいなんですよね。

わたくしは東京から22の時に来たんですけども、来年、今年で60なんですよ私。
綺麗でしょ?
で、来年60なんですよ。

60っていうと皆さんねぇ、嫁さんがいたり、孫がいたり、年金貰っちゃたりしてね、旅行行ったり、遊びにいく人がのんきに毎日をね楽しく過ごしている人が多いんですけども、私はもう毎日が忙しい!
朝から晩まで忙しい!
そしてね、素敵なことにね、わたくし個人にしてもね、朝4時なんですよ目がさめるのが。

ていうのが、次男がね家から東京通ってるんでね、もう4時におきてね、4時半に起こす、5時の一番の電車に乗せてく、そして帰りは最終電車の一本か二本前に帰ってくるんですよ、10時10分くらいに。
それから、てんぷら揚げたりきんぴら作ったりして、出来たものじゃなくって、すぐ火が通ったものをすぐ順にだしてあげるの。
それで、寝せて、その後にそーっとお風呂に入るから、1時とか2時なんですよ毎日寝るのが。
で、昼間は月曜日から金曜日まで毎日仕入れしてるの。

ねえ、ふかちゃん。
もうね、まるかんさいぐらいにもねお店の商品を月曜日から金曜日まで手を抜かないように仕入れているんですよ。
だからもう寝る時間もないっていうかね、まぁー本当に忙しい時間になっちゃてね、これが本当にね、振り返るとどうしてね、60になってこんなに忙しい毎日をおくるなんて思ってなかったんですよ。

本当に思ってなかった!

でも、おかげさまでね、このほら、たいどに出てたでしょ。
このよきご縁に出会えて、このまるかんしゃに出会えてことでね、本当にそれが充実してるんですよ全く毎日が、嬉しい。
で、次の日もまたなんか嬉しいような、期待があるような、そういう毎日なんですよね。

で、家をね、紹介していただいた方は東京のお医者さんなんですけども、こうゆうですよ、自然食品のお店の商品をね取り扱ってるお医者さんなんですよね。
そのことは自分で納得して、いい商品でないとやらないって方なんですよね。

それで、お医者さんであり、環境良品研究所という名前を持っていますし、それから、法来社、出版社。
あそこの社長さんが家を紹介してくれたんですけども、いつもねやるからには一生懸命やらなくちゃいけない。
ね、なぜかっていうと紹介してくれた人のね名を汚してはいけない。

ですから、どうせやるんだったら10年は真面目にやっちゃう。
一生懸命にやる!
という根性でやってます。

で、今2年半過ぎたんですけども、本当にこれがまた楽しいんですよ。
もう毎日毎日がね忙しいんですよ。
ですけれども楽しいんです。

楽しいって事は、丈夫じゃなきゃ出来ないんですよ。
心も体も丈夫じゃなくちゃ出来ない。

3つの幸せ

で、ちょっとまとめてきたんですよね。
皆さん忘れちゃうんですよね。
なぜね、このまるかんさんに会えてわたしがね、これね幸せでよかったかなっていうのをね、何でなんだろうってねまとめてみたんですよ。

そしたらばね、これはね、もうこれは私のまとめなんですよ、色々まとめた。
人生の指針。
ね、人生の道しるべ。
自分がこういう風に先に行くための道しるべを教えてくれる。

それから二つ目。
世界の流行の先取り。

ね、これから世界で何がはやるかなっていうものを、斎藤一人社長さんがもう先取りして、そして流行のさきがけをもう前へ前へ行ってくれる。

そして、三つ目。
これは、健康安全な健康食品とかお化粧品を喜んで提供してくれる。
結構お値段が安くて、添加物が入ってない、それから万人の人に使えれるような商品を提供してもらえる。

と、私はこれを三つにまとめたんですよ。

そしてこれが本当にすばらしい、どうせやるなら10年、あと7年半もう頑張ってやっちゃうんですよ。

で、自分が食べたり使ったりしてなきゃいけないんでね、まあ、あたしこんな顔してるんですよ。
まずね、皆さんね、あれなんですよ私こんな顔してるんですよ、右目が義眼なんですよこれ見えないんですよ。
小さい頃3歳の頃ねはさみでね怪我をして、ぶすっとやちゃった。
で、右目が義眼。

ね、まあ両親は大変だったと思うんですよ。
で、19の時に父を胃がん、その次二十歳の時に母を手術の失敗でなくしてるんですよね。
で、本当にね19、20でね何にも親孝行が出来なかった。

ね、そしてこれからの人生何して親孝行の代わりをしようと思ったときにね、そうだ私ね顔がこんなでも、元気に明るく前向きに生きて、私のこの姿を見て一人でも多くの人を、こう自分のことを気にしてね、比例してる人も「あの奥さんあんなでもね、あんな顔してるけれどもあんな元気でねすごいなぁ、あたしも頑張んなくっちゃ」っていう人が、一人でも多くいたら、あたしはそれが親に対する親孝行だと思ってるんですよ。
そういう気持ちで、毎日毎日います。

体に栄養、脳に知識、ハートに徳

それで、話がどっかいっちゃったなぁ。
それで、それからもう一つ話があっちこっちになっちゃうんですけど、えーとね、斉藤さんのね、斉藤ひとりさんの色々テープを聴いたりして、皆さんを聴いてる人もいると思うんですけども、一番私はねいいなぁっと思ったことは、体に栄養。
ね、ありましたでしょ。脳に知識、ハートに徳。

いいですねぇ、これなんといってもいいの、お風呂に入ってもいってるんですよ。
たまに忘れちゃうけどもね。

で、このね、体に栄養。
これね、体に栄養がないとあのバイタリティが出てこないんですよね。

だからね、弱い人はもうサプリメントをも使うんですよ。
ひざ腰でも前パッドでもなんでもいい、それをたべて、体に栄養を入れて、脳は一生懸命教えてくれることを学べばいい。

10聞いて9なくしちゃったとしても1は残ってるんだから。
ねぇ、もういっぱいテープをきいてるもんで、わたしはこれしか覚えてないの。
でもこれでも、この中の一つがね心に残ればこれでもいいんですよね。
こういう風に思ってます。

そしたら、ハートに徳、これハートに徳。
なんでもいいのよ、人に喜ばれることをたくさんする。

そうすると、自分が受けた人がまた他の人にもやってあげられるっと、そういうのが出会いだと思うんですよね。
これは本当に当たり前のことなんですけども、こういう言葉をこの活字にして分かりやすい言葉に解いてくれるのがね斉藤一人社長さんなんですよね。

ですからこういう方を一番上においていただいて、まして栃木はこんなハナエ社長のね、こんな美人のね、社長さんにおいでいただいて本当に私は本当にあの良かったと思います。

後何分ですか?
え、後5分?

後、もう10分ある。
じゃあもう喋りまくっちゃうよ。

お水飲むからね。
あ、どっか行っちゃった。
たあちゃん取っといて。

それじゃあね、10分ある、じゃあまだまだですね。
あ、ありがとうございます。
すいません。

じゃあ何から話そうかなぁ。
もう色々あってしょうがないんですよねぇ。
考えてきたんですけど、忘れちゃったんですよね。

みんな美人ばっかりでね、どうしていいかわからない正直ね。
えーっと、そうですね。

うちのですね、あの毎年ね決めるんですよ。
お店の方針を。

そして今年は、こころして、当店の目標ですよ。
今年の目標は、心して自分を磨く。
いい言葉でしょう。

本当にいいですね、これはたくさんの意味を持ってるんですけども、一人一人みんな違うと思うんですよ。
皆さん今聞いた言葉を自分の中に入れて、もうみんな違うと思うんですよ。

心磨いたり、一生懸命仕事したり、色々あると思うんですけど。
この言葉を土台にしてね、今年も一生懸命ね、頑張っていきたいと思うんですよ。

で、本当の年明けっていうのは2月の3日、節分からね、本当に新しい年ですから、その前に、今日本当にね、たっちゃんとそのなんとかさんと、わたしともう1人なんとかさんとやるんですけど、この4人の方は本当についてると思うんですよね。
だってみんなど素人ですから、こいうところでは。
初めてやるんですよ。

でも皆さんこんなに大勢の前でね、させていただく。
この年度替りの前に、させていただくってことは本当についてると思うんですよね。

ですから、誰だって初めから自身のある人なんていないんですよ。
もう一つ一つ自信をつけていくことが最高じゃないかと思うんですよね。

で、なんていうかな、自分がね、あれなんですよ、お店に行ってねいろんなお客さんが来るんですよね。
で、もう一生懸命ね、パワーをもらってパワーを返してあげるんですよ。
お客さんからもパワーをもらわなくちゃダメなんですよね、やっぱり。

知識の豊富な人もいるし、いろんな職業の人、いろんな生活の違う人がいっぱいいるんですから、そういうお客さんがどう入ってきたら、もういらっしゃいませで、お客さんのパワーをいただいて、それでないところでうちにあるパワーを一緒に、商品と一緒にお付けさしていただく。
そういうことをしております。

本当にありがとうございます。
後何分でしょうか?
まだ8分もある、そうですか。

本当にこれなんだっけ、ほうじょうさんじゃないけどお話が詰まっちゃうよね。
何していいかわかんないですけどもね。

総入れ歯になった理由

何がいいかなぁ。
何がいいかなぁ、何の話がいいかなぁ。
あ、そうそう8分ありますね、じゃあ話しちゃいます。

実はね、私右目が義眼でしょ、後歯もこれね入れ歯なんですよ。
ほとんど総入れ歯。

そうなんですよ、見せてあげましょうか?
ほらーほらー、総入れ歯。
見たでしょ?
もうそこにいる人は見たですよね。

それでね、なんで総入れ歯になったかというと、これ30の時に総入れ歯にしちゃったんですよ。そう。
なぜかっていうとね、ここにねあんまり年齢の高い人がいないから言っちゃうんですけどもね、私は長男お嫁さんにねお姑さんがいたの。姑。

これがまた、あ、確かに親戚だから悪いんですけども、もう本当にね明治の人でね、そりゃ大変だったんですよ。
何十回も涙を流した今日の私がいるんですよ。

そしてね、三十七八ぐらいの時かなぁ、もうね、おじいちゃんは厳格でね商売なんてうるさいんですよね。
てめぇセロテープ使いやがってとかね、いつまでもくっちゃべってお茶なんか飲んでんじゃねぇってとおじちゃん。

で、おばちゃんって人は、砂糖の入った袋どこにやったんだとかね、もう生活面に厳しい。
おじいちゃんは商売に厳しい。
私のいることろはない。
4回も私胃潰瘍やっちゃったの。

でね、今度やったらがんですよっていわれてるから、もう肝をすえて、もう開き直って、よしこんちきしょー、じゃあね、もうね、これからねもう4回目やっちゃいけないっていわれてるからね、これから頑張って、これから内内の中でね、ひ弱だなんだかんだって言われないでね、社会の人にねまれいさん頑張ってるねって、言われるようになればいいんだと思ってね、もう日夜頑張ったんですよ。

そして一時までにね、夜中にねそーっと降りてきてね、こうたたんでるのね、汚したのをね。
そしてね、こういうところにねもう赤なんか出来ちゃってね、たたんだものがね、もうこう真っ赤に血がついちゃってるんですけども、とりあずね、もう一時まで働いているんですよ。

で、私は自分でねよくやった、えらいなぁって思ってるんですよ。
で、次の日にね、あの~奥さん、ってね来てね、あー昨日はね頑張ってね二時までねしいたけを網に入れてたっていうんですよ。
私は一時までに寝るところだと思っていたら、夜の2時までにね表でしいたけを袋に入れてた、それもね淡々と入れてたお嫁さんがいたの。

あーこれは何ということだってね、自分はえらいと思ったんだけどもっと偉い人もいるんだ。
これはもう、うぬぼれちゃいけないよ。
どんなことがあってもうぬぼれちゃいけないよって心に思っちゃいけないよって、この人が教えてくれたことがありました。

本当にね、それでこの歯をなくしたっていうのはね、おばちゃんすごいねりゅうまちでね足が動かない、もう脚が大変なの。
で、このおばちゃんは、口が大変な人は大丈夫、丈夫なんですよ皆さん。
覚えててー、おすすいのひと。
口が達者な人は内臓が丈夫。

だから運動しなくても便秘なんてしゃんしゃん出ちゃう。
で、確かうちもそういう類なんですよ。
このおばちゃん悪いけどね、言っちゃ悪いけどもね、内臓が丈夫なんだな。

これはわたし世話する、私がお店で世話しなくちゃならない。
じゃあどうしたらいいんだろう、体を整えるにはどうしたらいいんだろう。
じゃあ歯が弱いから、ちょっとね歯医者さん行ってね全部抜いちゃってって言ったの。

先生がねこんな人はいない。
一本おきに虫歯があったのにね、でもねいい歯が残ってたらそれ以外は抜いちゃうかって聞いたんだけれども、先生にね、私にはもう時間がないんです。
で端から十何本抜いちゃったんだ。

そしたらね、心臓が止まっちゃてね、前が病院だから良かったんですけども、もう一週間も入院しちゃったの。
でもね、そしたら準備を整えてくれてね、本当に寝込んだ3年くらいね。

おばちゃんは寝る、おじちゃんも寝る、お店はやる。
そしてね、寝るときはベットのところにね、よっかかってねるの。
寝ちゃうともうおきられないから、よっかかってねたり、皆さんしたことがないかもしれないんですけども、食べ寝っていってね、口の中にものを食べて寝る、パタンって寝ちゃうの。

で30分くらいたってからおきると、また箸を持って食べちゃうの。
それね30分熟睡しちゃったんだね、そこでもね。
何回もやったの。

もう誰もやんないほうがいいですよ。
そしてね、もうまいつちゃってやったことがあるの。

あのね、ちょうど50になる前にねあたしも一つくらいつくといいなぁって思ったんだけれども、本当にそしたらねこつこつと積み重ねでね、本当に50の誕生日を迎えるときにね、ふたりとも3年も4年も病んで、そしてねうちでねふたりとも世話させてもらってね、うちで亡くなったの、お店しながら。
そして、亡くなったんですけども、それも10年ぐらいたつでしょ。

で、39になるときにこれは完全に入れ歯だったんです。
もうよくあわないんですけどもね、がくがくでね。
で、お金がないからいけないのよ、本当に。

それですけども、でも、本当にこんな私なんですけども、とりあえず一生懸命にやる。
もう毎日を前向きに一生懸命やる。

どんなになってもね、一生懸命やってそして、本当についてる毎日ね、毎日100回言ってるんですけども、ついてるって言葉を信じて、やればいいんだと思います。

うちはねもう4人いるんですよね。
社長、毎日ポスティングをしている長男がいて、そして私とふたぐのふかがさんと4人いるんですね。

で、4人どの人がかけても、うちはね成り立っていかないんですよ。
みんなそれぞれね役割があって、そして前輪後輪のタイヤが上手に回って、そして町中を走って、宣伝してこれからもゆきたいと思ってるんですよね。

本当にね、このまるかわさんにつかまってね、本当に良かったんですよ。
本当にこの良き出会いに触れて、本当に良かった。
もう毎日眠ってられない。

頑張ります。
これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

次の時にみえましたときには、くじぬま医院さんっていう迷子のうちが、守ろうって看板がついてますので、どうぞ皆さん立ち寄ってください。
お茶など入れさせていただきます。

本当にどうもありがとうございました。
一分前ですけれどもこれで終わりにします。

ありがとうございました、皆さんありがとうございました。

地獄言葉にさよなら

今紹介してもらっただけでウルウルしちゃいました。
このような場で話すのは初めてなんで、すごい緊張してるんだけど、聞いてください、よろしくお願いします。

私はもうすぐ二十歳になるんですけども、高校卒業してからは、やりたい仕事も見つからないで、本当に毎日楽しくない思いで生活していました。
ことあるごとに、不満を口にして楽しくない理由ばかり探して、探してました。

そのときは、そのときは友達のことはすごく大好きだったんですけども、その大好きなはずの友達の幸せさえ、心からおめでとうも言えなくて、どうして友達ばっかりって思ったり、親も口うるさくて、すごい大嫌いで、仕事にいっても、上司のことがすごい大嫌いで、ますます愚痴が増えて、今さっき言ってたみたいに、こんな分かりやすい表を社長が作ってくれたんで、本当にまさにこの地獄行きの言葉しか話さない生活を毎日してました。

でもそんな生活の中で、ついてることが起こって、それはきっと神様がくれたチャンスっていうかプレゼントだったと思うんですけど、友達が無料で手相を見てくれるよって、行ってみようっていってくれたんですけど、そういわれてあたしは、何で無料でなんかやってるんだろう怪しいとか思ったんですけど、半信半疑で行くことにしました。

で、いきなり手相をとか言われたんで、どんな怪しい服着てる人なんかがやってるんだろうって思ったんですけど、すごいどきどきしながら行って、初めてまるかんに入って、お姉ちゃんのことを見たときは怪しさとは違う、凄さでびっくりしたことを覚えています。

で、最初に見たとき、一言でたとえると、うわー福顔ーって凄い思ったんですけれども。
で、よくお姉ちゃんはみんなに観音様みたいだねって言われて拝まれているんですけども、本当にそのときもなんか、なんていうんだろう全身から凄い光が出てて顔を見ただけで吸い込まれそうなくらい凄いオーラが出てたのを覚えています。

で、更に驚くことに、あたしの手を見たお姉ちゃんは、そのときあたしは凄い悩んでたんですけれどもそのことを次々と当てたんですよ。
それで、最初に会ったときに、話してるうちに涙が止まらなくなって、お姉ちゃんの前で凄い泣いたんですよ。
で、凄くぐちゃぐちゃになって泣いてる私にお姉ちゃんが一言だけ、つらかったね、でももう絶対に大丈夫だから、って言ってくれました。

その時のあたしは、親にでさえ、何が楽しくなくてそんなにつまらなそうな顔して生きてるのかって言われてて、だからって、周りの人に悩みを話してても、たかが18くらいの悩みでそんなに悩んでいたらこれから先生きていけないよって言われるのがオチで、誰も真剣に話しを聞いてくれる人がいませんでした。
今考えると凄く些細なことで悩んでたと思うんですけど、その時のあたしにはその悩めることが全てだったんで、本当に生きている意味さえ分からなくなって、本当に毎日死にたいってことしか考えられなくなってたんですよ。

だからおねえちゃんがもう大丈夫だよって言ってくれたときは、凄いその言葉は暖かくて安心できて、自分の存在が認められてような、心が軽くなるような特別な言葉でした。

それから、お姉ちゃんにさっきストーカーとか言われましたけど、お姉ちゃんの魅了に惹かれて、何故かこう毎日来たくなって、それで、さっきも言ってたみたいに今仕事を手伝わさせてもらうまでにいたるんですけども、お姉ちゃんは知り合ってからも、あたしがどんな地獄言葉を話しても、たくさんの幸せがあることを何度も何度も諦めずに教えてくれました。
ついてるって言ってると幸せになるよっておねえちゃんに教えてもらって、初めはどういうことなんだろうって位に思ってたんですけども、お姉ちゃんと話してると、お姉ちゃんはよくついてるねって言ってたんですね。

それを聞いてるうちに、自分でも言うようになって、ついてるって言ってると本当にちょっとしたことでもついてるって事に気付いたり、小さな幸せがいっぱいあるなって気付けるようになって、その小さな幸せをいっぱい数えてると、本当になんか大きな幸せに変わるなって自分でも気付けて、昔おねえちゃんに幸せの基準は低く持った方がいいよって言われてて、今でもそうなんですけども、本当にそうしてるとどんなことでも幸せに感じて、社長の方にも会ったんですけども本当に朝目が開いただけで、ああ、幸せだなって凄い思えるようにもなったし、例えば、家に帰るときに夕日を見て、それが凄いきれいだったりすると、ああ本当に神様に守られているんだなって思うくらいに、それだけで凄い感動できて、その感動できた自分にも感動して、本当に幸せだなって思えるようになりました。

あたしは何かがないと幸せになれないと思ってたんですけども、でも自分自身の生きる意味もわかって、自分の本当に心しだいでどんなことでも幸せになれるって教えてもらいました。
本当に感謝してます。

両親が嫌いだった

で、ここからなんですけども、次にあたしに来た指令は親のことなんですよ。

で、正直に言うんですけども、本当に最初に親のことが大嫌いって言ったんですけども、本当に嫌いでお母さんは口うるさいし性格もすっごい嫌で、お父さんは酒癖がすっごい悪い人で飲んで帰ってくると、本当に暴れて、もう手のつけようがないくらいひどくて、みんなの家族のことをすっごく怒鳴って、逆らえば手が出てくるし、本当に何かに取り付かれてるんじゃないかと思うくらいにずっと死ね死ねって言ってくるんですよ。

で、正直塩をまいたこともありました、お父さんに。
気付かれないように。

夜中にそんなことを頻繁にされていたので、全然眠れないし、何か精神的にもすごい疲れちゃって、で、ほかの事はすごい全部幸せだし、うまくいってるのに、それでもやっぱり親の愚痴だけはどうしても言っちゃてて、本当に親とも口も聞かなくなって、全然家に帰っても親とも喋りませんでした。

そのときに、お姉ちゃんにちょうど、「いきなりの想像」っという本を紹介してもらって読ませてもらったんですけど、その本には前世とか現在とか死後の世界のこととか魂の話が書いてあって、今おきていることは全て原因があって、結果があるって、その因果ですよね。
で、だから親にそういう風にされていることも、前世できっと自分が親だったときに子どもにそうしちゃってたんだなって思ったんで、信じる信じないかは自分の自由ですけど、その話を聞いたときに、すごい心底憎んでたんですけど、それが少し楽になったのを覚えてます。

それからお母さんとの関係は少しだけ良くなっていたんですけど、それでもお父さんは変わらなくて、お父さんともずっと話をしてなくて、で、お父さんがそうやってお母さんに酔っ払って帰ってきたときに当たるのを許せなかったし、お母さんもお母さんでお父さんにそうされて、影で泣いたりしてるのに、それでもお父さんとは次の日くらいに喋ってて、それがまたすごく嫌だったんですよ。

で、年末に、年末ですよね、一回目の講演会の時にひとり社長と初めてお会いする機械があって、そのときに社長に、親のことを許しますって口に出して言いなって言われたんですよ。

初めてお姉ちゃんにそれを伝えてもらった時には、本当に口に出して絶対にいえないって思いました。
本当に、口に出してひと言いうだけで、解決するって、それは分かったんですけど、それでも、それで全部終わるって思っていても、本当に嫌な人を許しますって言うことって、みんなひと言、言っちゃえば終わるんだよって言うんですけども、本当にそこまで嫌だと言うことがすごく難しいことだったんですよ、その時の私には。

でも勇気を出して親のこと許しますって言ったんですけども、言っても心では少しもそんなこと思ってなかったんで、で、心から許せない自分のことも許しますってその後にもちゃんと言いました。

それから少しの間、家でまたそういう状況が起きたりしても、お父さんとお母さんが喧嘩してるのを聞いたりしてもすごく嫌だったんですけども、ずっと親のこと許します、心からそう思えない自分のことも許しますってずっと口に出して言い続けてました。
で、言ってるうちに、心から許しますって思えるようになって、そのときは本当に親のことを許しますって言うだけで、心からそう思えたんで言えました。

で、それだけじゃなくて、今の自分にこんな課題をくれた前世の自分にまで感謝したんですよ。

そしたら今まで家に帰る頃になると本当に毎日頭が痛くて、どうしようもなかったんですけど、その頭痛もなくなって、親同士が何かあったりしても、自分に直接被害が来なくなって、そういうのも分かんなくなったし、で、お母さんのことも心配してたんですけども、それでもお母さんは一緒になんだかんだいるんで、本当に困ってないと思ったんで、あたしが心配して気を揉んでても、お母さんが本当に困ったときは解決するようになってると思ったんで、お母さんのことも心配じゃなくなりました。

で、ずっとお父さんとも話してなかったんですけども、今月に成人式があってそのときに、お父さんとも普通に話すことは出来て、でも自分自身も変わらないと相手も変わらないと本当にそう思うんで、だからこれから感謝の気持ちも、もちろんあるんで感謝の気持ちはみんなだけじゃなくて親にも伝えていきたいと思っています。

本当に毎日思うのは、本当に周りの人に恵まれてて、あたしがお部屋のことで悩んでいるときにもおねえちゃんの家族だったり、お客さんだったり、みんなあたしのことを可愛がってくれて、本当に自分の子どもみたいに思って接してくれたんですよ。
で、悩んでいるときは本当にとてもつらかったんですけども、でも本当に周りの人がいたおかげでそれも乗り越えられたんだって思います。

それから、大好きな友達だったりとか、職場の人とかお客さんだとか、まるかんの人たちだとか、私が喜んでいることを本当に自分のことのように喜んでくれて、たくさんの仲間に愛されて支えられて、今の自分があるって本当にそう思っています。

で、今日は毎日どれだけみんなに感謝してるってことを伝えることができて本当に幸せだと思います。
で、まだ全然未熟者なんで、これからもいろんなことがあると思いますが常に笑顔と感謝を忘れずに、魂のレベルを上げて次に渡せるように頑張り続けたいと思います。

で、今日はあたしみたいな未熟者の話を聞いて一人の人でも何か感じるものがあってくれたらいいなと思います。
で、あたしにとって本当の幸せは、本当に生きてるだけで幸せだって思える時が一番幸せっていう社長の詩がありますけど、本当にそう感じて毎日生きてます。

で、皆さんによき事が全てのよき事が霰のように起きます。

終わりです。
ありがとうございます。

なんとかなっちゃった話

というわけで、立ち話で申し訳ないです。
すずきたくやです、よろしくお願いします。

一応話すことは考えることには考えたんですけど、まあここに立つと忘れちゃうと思ったんですけど案の定忘れちゃいましたね。

それでですね、意外と結構多かったのが、最初結構話してくれみたいに言われたときに、このまるかんのね始めるきっかけみたいのをね、聞かせてもらいたいって話が結構あったので、まあそんな話誰も聞きたくねぇだろうなって、俺も思ったんだけども意外と会う人会う人その話が聞きたいっていうんで、まあ一応その辺の話から始めさせていただきたいと思います。
よろしくおねがいします。

それでですね、この最大のピンチでも絶対に諦めるなっていうね、僕、何度かねピンチっていう人生経験があるんですけど、まずまるかんを始める前にですね、そうめいきっていうかね、僕あんまり結構おとなしめでっていうところなんで、あのですね、すごいもうパワー全開っていうかですね、あの有り余っちゃんてたんです。
特に10代の頃とかね、中学生の頃とかっていうのは、こういうあまったエネルギーっていうのをどういう風に使ったらいいか分からなかったんですよ。

で、このまるかんとかね出て知らないからね、最初全然知らないんでね、どうしようとか。
別に普通に勉強して普通に真面目にやってちゃんということ聞いてね、普通に学生らしい生活をって周りに言われていたんだけども、普通が分からないですよ。

1日だけの高校生活

普通って何だろう。

なんかね、みんな一生懸命勉強してね、高校入って、いい大学入っていい会社に入る、ていうのが普通の道って先生とかがそうやって教えてくれるんですよね。
で、僕もほら年齢がいって、大体中学校3年生の中間くらいになってくるんだけども、もう普通に高校に行けって言われるわけですよ。
で、僕最初から高校には絶対に行かないって決めてたわけなんですよ。

ちなみに僕高校出てないですからね。
中卒っていうか、あのこれ今から話していくんですけども厳密に言うと一日だけ行ったんですよ。

一日だけ行きました。
で、これなんで一日だけなんだっていう話なんですけれども、ちゃんと自分の中で決めてたことがあったんですよね。

中学校3年生の後半くらいから先生が、高校に行け高校に行けってすずき高校も行かないでどうするんだって、お前仕事で高卒じゃないとないよって言われるんですよね。
で、僕働いたことってなかったんでね、そんなものかなって思ってたんですけども、絶対にそんなことねぇだろうなぁって思って、高校は絶対に行きません。

志望校はなし。
でね、ずーっとそういう風に書いてて、担任の先生から、志望校ないのは君だけだよ、全校生徒の中で。
でね、どうにか決めろってどこでもいいよって。
どこでもいいって絶対にいかねぇ、働くからいいよって言ってたんだけども、先生が願書出しちゃったの勝手に。

本当だよ、俺志望校かいてなかったんだよ、それがね、農業高校なんだよ。
何故か農業高校なの。
何で農業高校なの、そこは分からないんだけど、農業高校にね願書出しちゃったわけ。

それでね、願書出しちゃったんだからね試験受けろって、でも俺いかねえよって言ってるのに何で願書出しちゃうのって。
まあ、とりあえずまぁいいやって、学校の先生も願書も出しちゃったしここまでやったし、向こうにも話が通ってるから、まあ自分のメンツもあったんだけれども、お願いだから受けてくれって試験は、落っこてもいいよって。

分かりました、じゃあ俺勉強しないよって。
だって元々行くつもりもないのになんで勉強しなくちゃいけないのってね。

それでね、とりあえず試験当日受けたんですよ。
そしたら、受かっちゃったんだよね。
ぜったいに落ちると思って、英語とか全然分かんなくて、全然数学とか僕ね算数とかから元々嫌いだったから。

もう全然わかんなくてね。
国語は大好きだったね。
国語と社会、歴史がすごく好きだったんですよ。
僕小さい頃は本しか読まなかったの。

ボーっと持ってて。
それでね、まあとりあえず試験終わったら見に行くじゃない高校に、それで番号があるのね。
それで俺間違いだって、俺じゃないって言ったら、ちゃんとすずきたつやさんですよって。

でね、そしたら今度はね受かったって言ったらね、親とかじいちゃんとかばあちゃんとかが大喜びしちゃって、もう学校の先生とかもそうなんだけれども、なんとか行かせようとするんだよね。

それで、僕ねあんまり中学校3年生の頃からね、後半ぐらいからあんまり学校行ってないんですよ。
学校いってないっていうか、行っても寝てるか、出席だけとったらどっかにふらふらっと行っちゃうの。

それでね、あんまりね朝早起きしていく意味もないなって、僕んち中学校からすごく遠いんですよ。
15キロぐらい離れてる。
自転車で行くだけで1時間かかっちゃうのね。
でね、学校に寝に行ってて1時間もかけてね、何しに来てるんだろう俺はねって思って。

それなんで、もう中学校3年生ぐらいになったらあんまり行かないてかね、たまに行事があるときだけ顔を出すような感じにして、で、そんなことやっててとりあえず学校に親が行けとか言ってね、親とかも今まであんまりそういうんだからね、学校も行かないでぶーぶーとかっていってたのにね、なんかじいちゃんとかばあちゃんとか時計欲しくねぇかとか靴欲しくねぇかとかバイクかってやんぞとかね、毎日小遣いらねえかとか毎日来るんですよ。

でね、おれいらねぇって言ってるのに、いやそんなことねぇだろうって、とりあえず行きゃ欲しくなるからとかねもう無理やり買ってきちゃうのね。
でね、色々貢物が山のようになっちゃうの。

何とか行かせようとするの。
絶対に。

それで、俺も考えて、これは行かない行かないって試験も受かったし、これ一応やってくれたわけですよ、僕の意思とは反対に。
やってくれたわけだから。
じゃあとりあえず、誰も変な気持ちにならないでね収める方法ってねぇかなって思ったわけ。

でも、僕学校には絶対に行きたくなかったの。
どうやっても高校には3年間をいかねぇと思ってたんで、じゃあなんかねぇかなって、そのときにない知恵を絞って絞って考えていた挙句に、じゃあ1日だけ行こうと。

で、その一日が入学式。
入学式だけ行こうと自分の中で決めてたの。
後は誰にも言わないで入学式だけ行こうって。

で、親とかも行くわけですよ。
で、とりあえず行って、なんか色々話してて、担任の紹介で一回クラスごとに集まるのね。
で、クラスごとに集まって、自己紹介と一応名前とか呼ばれるわけ。

で、その時にすずきたつやくんって呼ばれたときに、はいっって、そしたら、

「先生質問っていうか意見があるんですけど」
「はい、どうぞすずきくん」
「学校辞めたいんですけど」

一応僕の中では義理だけは通そうと、勝手に義理を解釈してるんだけど。
それで、もう学校やめますって、「えー入学式なんですけどここは」と言われて。
それでもね、先生が「混乱するからとりあえずはいったんお家に帰って、よく考えてから学校にまた来てください」って。
でも、その次の日からもう学校に行かないで、厳密にいうとまあ一日だけ行ったかな。

で、よく学校の先生とかねみんな親御さんとかいっぱいいてね、これから子どもが大きくなる人がいっぱいいるんですけども、僕自身はね社会に出てから中卒だったから困ったことは一回もないんですよ。
確かにね、15,6の頃に髪にパーマかけて茶髪にして、18歳ですって本当かなぁって見られるけど、でもね実際のところね、絶対に年齢がいってないからダメだとかね、年齢確認させてくれとかいう話はねなかったのね。
まぁ、免許所とか取るときはダメですよ。

で、一応そんな感じでね中学校しか出てないけどね、そんな困ったことは全然なかったですね。
まぁ人が一人なんですからね、この中にも書いてあると思うんですけども、別に困ることなんてないんですよ。

で、ある程度ほら、みんなも高校卒業して、18,19、はたちくらいになってくるとね、みんな別に、いちいちあたし高卒ですとか中卒ですとかって、書いてる人いないじゃないですか。
確かに働く前って履歴書を出すんですけども、履歴書もね高卒って書いちゃいます。
それ履歴書詐称って言う。
よくわかんないけど、卒業証書見せろっていわれることってないよ。

ピンチでも諦めるな

それなんで、ぼくねこのまるかんの仕事やる前はね、やっぱり15,6ぐらいの時はね、やっぱり土木作業員とかね、そういうのを結構やったりとかしてね、力仕事系が多かったんですよね。
18歳になって免許をとれてから、やっぱりトラックとかの運転手とかね、運転が好きだったんで、運転手の仕事やって、で、そのとき18歳になってからすぐぐらいだと思うんですけど、トラアックの運転手をやってるときに月100万ぐらい稼いでいたことがあるの。
その当時。

でね、使い方が、お金の使い方がわかんないの。
月百万を18,9でもらっちゃうと何に使っていいか分かんないんですよ、お金を。

その時に何に使ったっていうと、そのときはねスーパファミコンっていうのがはやっていたんだね。
それで、そのカセットが一個1万ぐらいするんだよ。
それで、出てくる奴全部買っちゃうの。30個くらい。

それで、もっとすごいのは、トラック運転手で月100万かせいでいたんだけれども、寝る時間が一日1時間くらいしかなかったの。
1時間か2時間くらいしかなかったの。

で、あのね何やってたかっていうと、白ナンバー今でいうと違法なんですけども、営業ナンバーとってないトラックだったから、運ぶのが闇米だったの当時は。
本当だよ、警察に止められちゃったら絶対に捕まるよ。
その話のすごいのは、闇米ってそんな闇米のオヤジが、現金渡しちゃったのトラックの運転手に。

取引全部現金なの。
ほら口座だと残っちゃう、だから証拠が残っちゃうから、取引は全部現金だったのね。

で、いきなりね、「すずきくん、今日は500万だから」って渡されちゃうの。
で、うちに帰って、寝る時間ないんだけどずーっとこうやってお金の横をうろちょろうろちょろ、たぶん大げさなんだよ。
だって、一応預かったお金ですよ、証拠ないけど500万なくしちゃったらね、大変だって思うわけですよ。

大変すごい事件があって、半年だったの、あんまりつみすぎて、バーンって高速でバーストしちゃったの。
でね、バーストしちゃったんだけど、それをね、トラックに乗ってて取りかえるときにね、タイヤ取り替えなきゃパンクしちゃってバーストしちゃったから。
でね、取り替えててね、もう一人だとね積荷が重たいからあがんないんですよ、ジャッキー1台だと。
なんかまわしてもまわしても下がっちゃうの、本当。

でね、なんか死角にねトラックで止まってた親父がね何か見かねてね協力してくれたのねおじさんがね。
で、「俺のジャッキーじゃ大型だからね、お前のも上がるからね、あげてあげるよ」ってね上げてくれたんだけども、その時にね現金とかがねおっこちゃったのここに。

で、きづかなかった。
本当ここに、こういうポケットついてて、こういう風に入れてたの、がさっておっこちゃったのね。
封筒のまま。

それ一生懸命やってたの、そしたらねそのトラックのおじさんがね、何かニヤニヤしてんのね。
最初その笑みがわかんなかったの。
で、何ニヤニヤしてるかなって思ってね、おめえさあ、それ現生かぁってね。
現生って聞いた瞬間、わるいとおもってたけどおっこてて、危なかったんだけどさ。

それでね、一応事なきを得たっていうかね、まぁよかったんだけども、一応そんな状態で仕事やってたからね、別になんていうかなぁ、気合って言うかね気合だけはあったんですよ。

だから、本当学校とか行かないでね、別にそうやってるとねエネルギーだけはあるんでね、都会の人だったら音楽やったりとかね、クラブいったり、ディスコいったりだとかあったんだけども、ぼくんち実家すっごく田舎なの。
ものすごい田舎だよ、本当に。
やることっていうか、情報量が少ないんですよものすごく。

でね、もうお決まりのパターンでね暴走族みたいのに入っちゃうんだけども、どれ位田舎っていうと、あのね、暴走族のバイクってねみんな見たことあると思うんだけども、もうマフラーなんかぶん抜いているわけ。
で、もう本当に何キロも先に行ったらねバイクの音が聞こえるってぐらいでもうものすごいうるさい訳。

でね、ブーンって走って、その時に土木作業員やってたんだけども、その時にね何か僕変にねおばあちゃんとかにね人気があったの。
たっちゃーん、たっちゃーんとかね、ばあちゃんにモテモテだったの。
でね、たっちゃーんとか、あたしたっちゃんのファンとか、たっちゃんのこと好きだから教えといてあげるけど、なんか気をつけたほうがいいよっていうのね。

で、なぁにってすごい真剣な顔して言うからね、どうしたって、ひとつ教えといてあげるけどうちの近所のじいちゃんがいるんだけど、おじいちゃんがいるんだけど、その人がねもう桑、桑でねぶっ殺すっていってたよ。
桑、桑でぶっ殺すっていわれてね、最大のピンチっていうかね、それで、最大のピンチの話に山場はどこだったけな整理して、それで、その桑の話はねおばあちゃんにいっておいた、もういつでも来いって。
受けて立つって。

桑でくるなら俺はバイクでひき殺してやるっていつでも来いよって言ったらこなかったんだけども。
誰も来なかった。
おかしいな。

それで、最大のピンチでも絶対に諦めないって、それで、僕がねすごいバイクに乗って、暴走族ってね集会みたいのがあるんですよ。
別に良い子はまねしちゃダメですよ。
このおじちゃんがこんな話をしてるだけだからね。

それで、暴走族やってるやつが集まってね、100台ぐらいで走ろうぜっているときがあるんですよ。
で、その時に100台ぐらい集まって、もう無法者っていうかね、もう法律とかくそ食らえ元気ありあまりっていう感じだからね、あのおとなしくしてられないからね。

で、ああいう夜の街のなかで、ブーンブーンって走ってて、走っててねその時にね、もう無事に終わって、帰ろうとしたの。
帰ろうとしたときに、僕5台くらい別方面だったから、別で友達と5台ぐらいで一緒に帰ったの。

そしたら、もう朝方だったんだけれども、一人が調子に乗ってね、おらぁまだ見せ場は終わってねぇぞって走ってたら転んじゃったの。
で、転んだのはいいんだけれども、そいつがころんだから全員転んだの。
通りでね、すごい大きい通りだったんだけれども、そしたらね、パトカーが後ろからくっついてたんだね。

で、パトカーが後ろからくっついてて、でね、だーって転んだ瞬間に誰かが、あーおまわりがきたって叫けびだしたの。
それでね、12,3人いたんだけども、みんなねもう目の前にパトカーがいてね、もう見た瞬間にねもう警察官の人がね笛とか吹いてくるわけ。
びーってきて、もう向こうから走って来るわけ。

で、一応リーダーって言うか、僕が勝手にリーダーみたいのになってたんだけれども、で、みんな赤い特攻服着てるわけですよ、真っ赤、真っ赤ですよ。
どう考えても、普通の人じゃないよね。
真っ赤の特攻服着てて、その時にもう即効でばれちゃうわけじゃないですか、で、やべぇもうたつやくんどうするどうすればいいのってずーっと言っててそれでね、俺もどうするって言われても俺が逃げたいよって思いながらいたんだけども、もうそんだけ人数がいるとね一人逃げたくらいじゃね全員捕まっちゃうのね。

で、やべぇどうするかな、じゃあとりあえず上着脱ごうって、上着脱いだらどうするの、俺もそこまでわかんねぇと思ったけど、とりあえず上着着てたらやばいだろってことで上着を草むらにぶっこんじゃったわけ全部ね。
で、バイクはそこらへんにぶんまかれててね、駐車場にばらばらにおいてあるわけね。

で、おまわりさんが来るわけ、でね、そこ動くなってみんな全員動くなっていうような感じでね捕まえようとしたわけ。
でね、まずお巡りさんがね一応聞くわけ、お前ら何やってたここでって言うから、いやぁ別にってしらばっくれてたんだけども。

でね、その時にタオルまくの、普通ねねじり鉢巻とかね大体みんなタオルとか持ってるんですよ。
顔隠したりとかね、悪いことしてるからね。

一分前になっちゃったよ。

それで、その時にお巡りさんがね、おまえらなにやってんだって上半身裸なの、それ脱いじゃったら、全員裸でズボン真っ赤なのはいてるんですよ、おかしいでしょどう考えたって。
で、その時にね、お前ら何やってんだって言われたときにね、俺から出た一言が生涯忘れられない名文句かなって。

何やってんだ言われたときに、おまわりさん見てわからないんですか寒風摩擦なんですよ。
寒風摩擦、俺も自分で言ってて寒風摩擦、倒れて寒風摩擦。
でね、俺もすぐ受けちゃって寒風摩擦ですかって言って、それでねつかまんなくてすんだの。

そうだから絶対に諦めちゃダメですよ。
そういう落ち。
本当に、あれ終わりだってよ。

―― 大変貴重な話ありがとうございました。

病気といじめの話

よろしくおねがいします。

一生懸命お話しますのでよろしくお願いします。
わたくしは昭和42年1月31日に父があしかがまさお、母の名前があしかがかつよの間に生まれた一人っ子です。

で、本当に愛情いっぱいに育ててもらって、子守唄の折にいつも父が好きだったジャズを子守唄代わりに聞いて、スピーカーの目の前でね寝かされてたんですけど、ただ、最初に覚えた歌がなぜかジャズとは全然関係のないブルーライトヨコハマっていういしだあゆみの、その歌を口ずさんだ覚えがあります。

いじめに耐える日々の始まり

で、小学校は、幼稚園と小学校は私立の、私立の幼稚園と小学校、父がすごく私立ってところにあこがれておりまして、女の子ですからしかも一人っ子ですから、いいとろこにいいところにっていうことで面接とか、本当は面接、入学って言うか入園試験、入学試験って言うのがちょうど締め切った後だったんですけども、なんとか父のすばらしいトークで入れて、見事合格しまして、入れたんですけども、小学校の時にちょうど成長期になったときにですね、小学校4年のときですかね、病気が出まして、急性突発性側彎症という病気にかかりまして、本当に父と母にはビックリさせたっていうか、自分が本当にびっくりしたんですけども、そくわんっていうと背骨、本当は真っ直ぐの背骨がS字型に曲がる病気になってしまいまして、かなり曲がってる度数が多かったものですから、矯正するために、器具を、ちょうど首の辺りから腰の辺りまでするようになって、しかも日常生活はほとんど矯正器具のままで、ただはずせるのが入浴の時だけ。

全部昼間学校に行くときも、遊びに行くのも、全てその矯正器具をつけたままですから、前にかがむことは出来ず後ろ振り返ることも出来ず、そのことが原因で学校でいじめにもあいました。

いじめられるのは別に自分としてはたいしたことはないのかなぁと思ったのですけど、本当に、今いじめって言うとすごく大変なことになってると思うんですけど、ただあたしのいじめはクラス対1で本当にいじめられて、どうしたら解決できるんだろう。
学校の先生にも相談したんですけれども、学校の先生も何も解決にならなくって、ただ話を聞いてくれるだけで終わってしまったんですよね。

で、じゃあ私が我慢すればいいのかなぁと思って、結局我慢することだけで、克服ってわけじゃないんですけどもその場しのぎになって、で、その病気があんまりにも度数がひどいために成長が終わったときに、中学1年の時に手術をしましょうということで、手術を中学1年の時にしたんですね。
で、中学1年の時に手術をして朝から手術をして夕方までかかる結構大きな手術だったらしいんですけども、本当に、親には本当に感謝しきれないんですけども、それでその手術の前に、一応検査をするんですけども検査をしたときに肺に、片肺にたんが溜まっててかぜひきの状態で手術を行って、で、なんとかクリアできるだろうって、先生方もおっしゃって、で、まあその場はクリアできたんですけどもその手術した直後に、少し矯正をしましたから、その矯正をした段階でいい肺の方にたんが全部流れてしまいまして、その晩に呼吸困難を起こしてしまいまして、次の日に重点病棟といいまして、がんの末期患者が入る24時間看護体制のところに入って、そこは一日一人5分間だけの面会だけしか許されなくて、父も母もすごく悩んでいたんじゃないかと思うんですけど、で、その時に肺に溜まってるだけじゃなくて、ろくまくの方にも水がたまってるんじゃないかということで、わき腹のところから注射を打ってろくまくから水を出そうとしたんですけれども、ろくまくからの水じゃなかったんで、結局、肺にたんが、全部のたんが真っ白になっちゃたもんですから、水が出なくて、ただそのろくまくから水を抜くということを先生にお願いをして、もうささやかなお願いなんですけども、これ以上親に心配かけたくなかったので、このことは親には黙っていて欲しいということで、あたしは先生にお願いをして、その話をしたのがちょうど退院してから何ヶ月もたってから親に話して、あっそんなことがあったのということで、親もびっくりしてたんですけども、もう本当にもう親には感謝しきれないほど心配かけちゃったんで、学校に復帰してもやっぱり矯正器具がしばらくの間つけたままでいたんですけども、やっぱりそこでもいじめにあって、そこでも学校の先生に相談したんですけども先生がその子にも家庭の事情があるからしょうがないよって言われたんですね。

あっそっか、じゃあやっぱり私また我慢すればいいのかなぁっと思って、またそこで我慢しちゃって、まあその子が私で鬱憤を晴らせるなら私が我慢すればいいのかなぁ、そう思ったんです。
で、そのことはいじめられたってことは、親にも本当にそういうことをされているってことは、親に一度も話したことないですしただいじめられているってことはうすうす感じていたんですけれども、いってもよく学校で親にちくったとか、先生に喋ったとか、そっちの方がまたいじめられる方なんで、何にも言えずに自分ひとりでずっと我慢してたっていうのがあるんですね。

で、中学3年の時に修学旅行に行くときに、大変な病気をしたから他の先生たちは私が行くのをものすごく反対してたんですけども、うちのクラスの担任の先生が、「いや、せっかくの旅行だから連れてっていってあげたい」ということで、「荷物は俺が全部持つから」ということで、本当に行かせてもらったんですよ。

で、父と母が、みんなと一緒にお風呂はいるけど大丈夫、背中に傷があるのをみんなに見せることになるけど大丈夫ですか、大丈夫?
って言ってきたんですけど、ああそんなの大丈夫よ、だってあたしよりももっと大変な人がいると思うよ。

あたしはせきを切ってしまえば治る病気なんだけど、中には心の病気にかかっている人っていうのは何もしても、癒されない本当に重い病気を持った人がいるから、その人たちに比べたら本当に大丈夫だし、だからそんなのあたしはふうしょうと思っていれたら、全然平気だからっということで、修学旅行も無事に行かせてもらうことが出来ました。

斎藤一人さんとの出会い

で、高校の時にちょうど今すんでる江戸川区っていうところで、母が趣味で始めた喫茶店。
みっちゃん先生の方に出てくるんですけども、ピクニックというところで、斎藤一人社長と出会うことになったんですよ。

本当に昼間私は学校に行ってましたんで、全然分からないんですけども、母とか回りの人とから、本当に素敵な男性が来て、私はそんな病気抱えた後だったんで、体力的にも学校行き来するのが精一杯でいつも帰ってくると、家でごろごろしてテレビ見たりとか、外にも行かずにしてたんですけども、ひとり社長が母に、体力的に病気の線もあるよねぇということも言われて、じゃあ、一生懸命ひとりさんの作っている商品を一生懸命飲んでみようということで、好き嫌いもその頃すごく偏ってて、今も好き嫌いが結構あるんですけれども、お肉ばっかりしか食べなくて野菜とかお魚とか本当に申し訳ないんですけども全然食べなくて、ただ前べんぴしょくっていうのが、黄色いビタミンの色の粒の時に、たくさん飲んですごく血液がきれいになって、しこうが少し変わってきて、だんだんとお野菜が食べれるようになって、ありがたいなっということで、初めてひとりさんと会話を交わしたのがちょうど短大卒業したときに、就職するときに、入社する前に本を読みなさいって課題が渡されて、カーネギーの人を動かすっていう本に出会えて、それでたまたま喫茶店に誰もいなくて読んでいたんですね。

そしたら社長が入ってきて、お客さんだから席を立たなきゃいけないと思って、席を立ったら、あっいいんだよ、そこに座ってて、何読んでるの、って言われたんですよ。
カーネギーの人を動かすですって言ったら、あっその本いい本だよね、たくさん読んだ方がいいよっていうことで、あっありがとうございます。
本当にもう優しい言葉で話されて、もうすごく心がやすまる感じになりまして、それが多分最初の声をかわしたことだと思うんですね。

それから、お店で月一回、いろんな飲み会をやったりとかして、社長がカラオケとかしたりマージャンもその時にやったりとか、楽しいことばっかりやってたんですね。

で、その頃に私に作ってくれた詩がありまして、ちょっと紹介させていただきます。
あしかがひろこの詩。
うつむいていた私、何もいえなかった私、あなたに初めてあったとき、輝く私を見つけました。
今私は幸せに向かって、大きく翼を広げます。
ひとり、本当に幸せになるために私は一生懸命前に進んできました。
で、今すごく幸せになりました。

これはさいとうひとり社長のおかげだと思っています。

で、今すごく好きな歌があります。
それは皆さんもご存知かもしれませんが、母さんの詩。

人生って楽しいことばかりじゃないけれど、うれしいことやつらいことを乗り越えて、ほっとしたときいつも心に浮かぶのはこの一言です。
母さん私を生んでくれてありがとう。

本当に社長に感謝しきれないくらいに私は感激でいっぱいです。
両親にも本当に愛情いっぱいに注いでいただいて感謝しております。

最後に、みなさまに全てのよき事が雪崩のごとく起きます。
そして、その地球上に生を受けている全てのものたちが幸せになります。

このような場を与えてくださった、社長、そしてはない社長本当に感謝しております。
ありがとうございます。

そして最後に会場の皆様、まだまだ未熟な小娘のお話を最後までお聞きくださいましてありがとうございました。

 

斎藤一人の心が千分の一だけ軽くなる話

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